50音学(音楽考学)なくして、音楽成らず



音楽考学(造語)とは、音や音の変化に対して、

意味を汲み取るため考える。


まぁ曲構成を分析する楽曲分析や

アナリーゼの親戚みたいなもの

とお考えてください、いやほぼ同じです



譜面が読め、譜面の指示に正確に従い、

自分なりに、表情をつけ演奏している!


一見これで完成のような気がしますよね?

ところがどっこい、これでは

全くもって、足りなすぎると思います


まず音楽とは、音を使った物語とも言えますので、

この場合、演奏するは、朗読するにあたります。


それを踏まえた上で、譜面が読めて変化をつけて、

弾けると言うのは、言葉の違いに気がつき、

自分なりに変化をつけて、朗読できるとなります。


ただしその変化が

何のための変化か、考えると言う作業

抜けた状態です。


音学を学んでいる人間は、言葉の意味を考えながら

この変化を、朗読出来るとなり、

この違いがとても大きいことを、

例題文章に置き換えて、今回は説明しようと思います。




例題に四行の文を出します



今日は、居残り勉強を、する

今日は、野球を、する

今日も、野球を、する


まずはあえてこの3行でやめます。


まず音学抜きの場合、

文章の違い、変化には気がつけるので、


変化    居残り勉強→野球

変化    今日は→今日も


に気がつけるとなります。

自分なりに何か、変えて朗読するのでしょう。



音学を学んだ人間は、ここに意味を考えながら、

読むことになります。


勉強はさておき、野球は2日続けてかぁー

よっぽど野球が好きなのかな?


などと考えるわけです。

と、ここまでではありません、最後に四行目を足します!


今日こそは、サッカーする


どうでしょう?、この四行目が入ることによって、

恐ろしい化学変化が生まれた事に、

気がつきますよね!

では改めて


音学抜きの場合

変化 居残り勉強→野球→サッカー

変化 今日は→今日も→今日こそは


やはり同じように変化をつけて朗読するのでしょう。


一方音学ありの場合


先程とガラリと読み方は変わると思われます。

勉強はともかく、この子の野球好きは

いよいよ怪しくなってきます。

野球は、友達との付き合いで仕方なくなのか?

今日もの  〔も〕  は、好きで今日もというより、

今日も野球をするはめにの、 〔も〕  の可能性が濃厚か?

こりゃ明るいテンションで今日も野球をする

と朗読するのはやめようかな、、、


今日こそはの  〔こそ〕  には相当の決意を感じられるぞ。

この子が本当にやりたいのは、サッカーなのだろう。

この四行目は相当、気合い入れて読まなければ!



と、ここまで変わって来ることになります!



演奏者は物語(曲)の結末まで、知っています。



この四行目の存在を知っているのに、

今日も野球をする と元気いっぱい喜びにみちて、

演奏していたとしたら、センスを疑われかねません


もちろんあえて、わざとやっているのなら、

それも良いでしょう。

ただし、その場合四行目の扱いも変わってくると思います。


例えば

本当は、野球が好きで好きで、たまらないのだけど、

来週苦手なサッカーの試験があると、

設定を設けたらどうでしょう?


最後の四行目は、

はぁーついつい昨日も、また好きな野球やっちまったー、、、

今日こそは嫌だけどサッカーしなきゃ試験がヤベェー、、、

これならば意味の通じる、全く別の素晴らしい

演奏になったと思いませんか?



聴いているほうも、なるほどそう解釈したのかと、

唸ると思います!


一番問題なのは、意図の見えない変化抑揚

これは聴いている人間も、はたまた弾いている本人も、

意味がわからず抑揚をつけているのですから

、これで良いのか確信が持てない、、、当然不安になります


大事なのは、


その音の意味を考えているか?

そしてその考えが、思いつきでなく、

筋道が通っているか?


もしもその意味に、確固たるものがあり、

筋が通っていれば、

私はオーソドックスでなくとも、良いと思います。


それが演奏者のカラー、解釈、表現となるわけですから。


しかし演奏者が、文の意味がわからない状態で、

ただの、文字の上の変化で終わってしまう事、

あるいは意味は分からないけど、

先生に言われたから、そう弾いている

には

疑問を感じるわけです。



ただの先生の真似や、意味を考えず美しくに弾いている

ではいくら達者に弾いても、

伝わってこないのです。


そりゃそうです、伝える内容が無い状態で、伝え方のみで

演奏しているのですから。


さらには意味を考えた上でも、人により解釈が


野球好き、

サッカー好き 

渋々の試験対策サッカー 

お付き合い野球


と、これだけ分かれるのですから、

意味がわからないまま、変化をつけては、

ただのデタラメになる可能性は極めて

大きいのです。


また作曲している人間は、当然その

音の変化に何かメッセージをこめているのですから、

やはりそこを汲み取とろうと考える、

それがあっていようと、間違っていようとその

作業が入って、

ようやく初めて自分なりの、音楽になると思います。


そしていくら考えても正解が無い。


これこそが音楽の醍醐味ではないでしょうか?


練習の際、あーここだけ音違うなー嫌がらせかよー

音間違えないように、気をつけよーで終わらず、


なんでこの音に変えたんだろう?


とちょっと考えるだけで、随分自分の演奏の核

つながると思います。


練習は、なにも指を動かすことだけではありません。


それ以外にも沢山あるので、たまには音について

考えるだけの、練習時間があっても良いと思いますよ。



今回で、節目の50回を迎えることが出来ました。

私の勤め先の〔あんぷらぐど〕で、

コラム書いてみては?

とすすめられ、

そんなに書くことあるかなー

等と不安を感じながら、はじめた訳ですが、

結構あっという間でした。


振り返ってみると、自分の失敗して遠回りした事を、

書き綴っていると気付き、

恥ずかしくもなったりしましたが、

皆さんの遠回り回避に、協力できれば幸いです。



これからも応援よろしくお願いいたします。





51 大きい音は強く????















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